カネダイ創業者 佐藤正二は八戸から第三宝生丸を購入し近海底引き漁業に着手。カネダイの歴史が始まった。
廻来船問屋を開始し、カネダイ佐藤商店を創業。屋号の由来は、大工が使う曲尺から「カネ」。
「堅実にしっかりと仕事をやりとげる」という企業姿勢を象徴している。ダイには「大きく」「大らかに」「未来へ向けて」との思いが込められている。時は太平洋戦争の真っただ中。人員、物資、燃料等あらゆるものが不足し、最悪な経営環境の中、何とか事業を続けた。
昭和20年、終戦を迎えたカネダイは漁船2隻を購入し新漁場を開拓。昭和25年にはゼネラル物産特約店として石油事業を開始し、その後プロパンガス販売、ガソリンスタンド運営を展開。
昭和28遠洋鮪延縄漁業を開始。昭和36年には冷凍冷蔵業を開始し、現在の4事業体制が始まった。
気仙沼の3社合同で「海洋漁業(のちの海商)」を設立し、モザンビークでのカニ操業を開始。
未知のアフリカ大陸での事業は困難を極め、2度のオイルショックにも見舞われた。1978年には社船"海洋丸NO.1"がスケルトンコーストで座礁し、船員は無事だったものの船体は放棄。この船は今も残り、観光名所になっている。
魚種及び漁場の変更を重ねながら事業の継続を図ること約10年、遂にナミビア共和国においてアフリカ域でのカニ漁業の安定化を成し遂げた。
現在はウォルビスベイ港を基地として"カベケカタミラ号"が操業中。現地パートナー法人を通じてナミビア共和国での雇用創出や社会貢献を継続している。
現会長佐藤亮輔が社長就任。当時カネダイ冷凍部では、川口町、大谷の工場で魚製品の他、カニ、エビのむき身加工を開始していた(世界初、冷凍カニむき身の機械化)。
中国に進出。山東省烟台市にて合弁会社を設立し、カニ加工を開始した。
社名を『株式会社カネダイ』とし、冷凍部を「水産食品部」に名称を変更
中国烟台市に独資会社「烟台福宝食品有限公司」を設立。高度衛生管理を備えた最大800人規模の工場運営を開始した。
現在は水産食品事業部の中心的な製造拠点と共に、中国国内販売、海外輸出の拠点となっている。
3月11日、東日本大震災が発生。カネダイも市内にあった施設15か所すべてが壊滅的被害を受けた。
3月15日、各避難所を回り、社員の無事を確認するところから活動を開始。
3月21日、市内ビルを仮事務所とし、事業を再始動した。
社員は自社のドロ掻き、ガレキ掃除をはじめ、様々な市内復興作業にも参加。
ガス部、石油部は市内のライフラインを守るべく奔走した。
11月復興屋台村気仙沼横丁にてカネダイ初のBtoCブランド、まるずわいがに専門店『かに物語』がオープンした。
3月。長野県内の催事に初出店。以後、屋台、マルシェ、キッチンカー等各種イベントに参加。
10月テレビショッピングデビュー。3000セットの商品が10分で完売した。
〈かに物語〉海の市店オープン
現在、各種メディアでの評価を頂くとともに、全国の百貨店催事に通年出展中。たくさんのお得意様にお買い上げ頂いている。
新社屋工場、総合エネルギー事業部事務所を建設。
カネダイとして34年ぶりとなる新船、第一漁吉丸建造。
第八漁吉丸との2隻体制となり、揃ってインド洋で操業中。